四つん這いでタスキをつないだ女子駅伝、甲子園に見る判官贔屓と軍国主義の矛盾
全日本実業団対抗女子駅伝予選会で、岩谷産業の第2区・飯田怜さんが残り約200メートルで走ることができなくなり、両膝を付き、四つんばいになって次の中継所を目指すというアクシデントがあった。
監督から棄権の意思が出たのに、実際の審判員が本人に聞いた答えがやめたくない意思だったため止めれなかったというものだ。
結果的に飯田さんはひざを手術することになり、今後の選手生命に影響するかもしれない怪我を負った。これに賛否がうずまいている。
監督から棄権の妖精をなぜ大会側が続けさせるのか?いや感動した。など。
選手は自分でタスキが止まる事はいやだろうし、続けたいと言うだろう。チーム全員がタフあトレーニングをこなして来た結果を自分が止める事になるのだから。
この悲劇や弱いモノを応援したい願望が、どうも日本人にはあるようだ。
これが、個人的には日本人のスポーツ振興の妨げになっていると思っている。
アマチュアスポーツに観衆が求めるもの
夏の甲子園でも、金足農業の吉田輝星が5試合連続完投勝利を美談に語られている。
また、決勝戦の野球エリート軍団の大阪桐蔭に対して多くのファンが金足農業に肩入れして見ていたようである。
こういうものを判官贔屓(ほうがんびいき)という。元は兄である源頼朝に冷遇された源義経のドラマチックな人生が多くの作品にされ人気が出て弱い立場のほうを応援する事を指す。
牛若丸としても義経としても、あまたの書籍や逸話、演劇などに取り上げられる。
もちろん大阪桐蔭の子達もプロ予備軍ではあっても、同じ高校生で過酷な練習を積んできた野球少年達だ。決勝戦でのあからさまな、金足農業応援はいかがかと思う。
また、吉田君の将来性を考えてもあれだけ肩を酷使するのはどうだろうという野球関係者も多い。ただ、それよりも感動した、さわやかな戦いぶりが清々しいなどの声が大きくなる。この甲子園でのアマチュアリズムって何だろう?
朝日新聞の矛盾
夏の甲子園の主催は朝日新聞である。いわずとしれた、反保守、リベラル(?)の新聞で改憲は反対。戦争責任を声高に言い続けるところである。
アマチュア野球の意向は、やはりこの朝日新聞が実質的に支配してきたと見るのが普通である。もともとプロのアマの仲が悪くなったのは、プロといえば巨人だった時代に引き抜きだ裏金だといろいろ言ってるが、ようは巨人の後ろの読売新聞との争いだ。
野球というフィールドで、代理戦争をやってるだけである。
昨今のパリーグの台頭と、プロとの融和は新聞社の勢いが落ちてきただけのことでしょう。
され矛盾とは、あれだけ戦争にアレルギーを持つ朝日新聞が仕切る高校野球は、いまだに実質的に丸坊主強制、一糸乱れぬ入場行進、自己犠牲を厭わぬチームプレー精神。
審判にクレーム言うなんてとんでもない、完全上位下達。
これ、完全に軍隊だよね?
もうスポーツではなく、道であり、人間道とまで言ってしまう。その精神論は、あきらかに彼らが嫌いなはずの軍国主義だ。そして日本の多くの反保守のマスコミのこの根性主義、自己犠牲の精神を礼賛する。
健全な育成と言うなら
もし健全な育成と言うなら、今回同じドラフトにかかった大阪桐蔭の根尾君をもっととりあげて欲しい。彼はスキーで全国優勝もしたことがあり野球だけ一筋ではない。
その下半身の鍛錬が生きていると言われている。
アメリカではシーズンスポーツで、冬はアメフトをやったり複数のスポーツをやることが多い、それにより身体の様々な筋肉が総合的に鍛えられ身体能力が高くなると言われている。
日本の部活動では、複数のクラブに入ることは普通できない。
だが、スポーツ医学的にいえばいろいろな動き、スポーツをしたほうがいいと言われている。あまり特定に動きばかりで若いうちから酷使すると疲労をおこし怪我の元になることもある。
すでにクラブスポーツ化が進むサッカーではオーバートレーニングは、必ずチェックされ休息を取らされる。
ところが、まだ野球は夜中に素振りをやることが美談として語られている。
そこにも「一筋論」や「わき目も振らず」的な精神論が持ち込まれる。監督の言うことは絶対。
今のリベラルの人が語る、この判官贔屓の弱者を応援することとチーム一丸や自己犠牲は実はとても危ない考え方ではないのか?と思ってしまう。
かつての戦争に何も言えない空気を批判する人たちなのに実はそれを一番いまでも自分達が気持ちいいと思ってるんじゃないの?
そうでなければ、あれだけ記者と社員がいる朝日新聞の中から少しは違う意見が出てきてもいいんじゃないだろうか?上位下達なんではないのか?
アマチュアスポーツへの大人の対し方は?
プロアマ協定や、甲子園の丸坊主、部活は複数入れないなどは全て大人が決めていることである。子供の事を考えて決めたものではない。
スポーツを健全な育成の一部を考えるならば、まずは大人が健全に考え直すところから、戦後のアマチュアスポーツをリセットしてみてはどうだろう。