孤独のグルメの久住先生が、報酬・校正なしのインタビューは断る賛否は認識のずれを感じる


久住昌之先生のツイッターに賛否が集まっているわけだが、ことの経緯は新聞者が先生へのインタビューを「今回は無償で」「報酬と著者校正はございません」という、テンプレで申し込みがあったものを断った事をtwitterでつぶやいた事がバズった。 

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これに記者側の意見で、もともと記者側の立場の書き込みが

  • 取材相手の迎合を生む恐れ
  • 編集権を担保するため、取材相手に見せない
  • 金銭の介在により、真実性が歪みかねないので取材は無報酬が原則

などの理由なのだ、と意見を述べた。 宣伝してやるから、という記者はいないと思うという補足などを書き込み記者もいる。

他の方も多くは、金銭の介在で公正さに疑義が生じるという点を指摘している方が多い。 先生は特に金銭より編集権のほうが気になっているようにその後の意見で感じられます。

ん?事件記事と話題記事で同じルール?

上記の金銭の介在で公正さに疑義などは、事件記事や政治記事ならよくわかる。金銭の発生で特定の対象に不利に発言したり、金銭目的で事実をまげてまで話題性を作ろうとする事があるかもしれない。 取材対象の問題をあげたり、事件を真実を突き詰める記事などでは確かにこのルールは適用されるべきなのはよく理解できる。 ましてや記事により、対象に不利な内容を糾弾するようなものはその疑義を金銭で左右されてはいけない。

ただ、今回のような文化記事や芸能記事も同じルールなの? 

 

 

 

そもそも宣伝ツールがマスコミだけだった時代とスタンス立場違うくね?

これは新聞者などが昔の大マスコミの幻影を持ち続けてる証拠なのだろう。特に役員の団塊の世代の人たち。そもそも文化記事や芸能記事も昔は「宣伝してやる」前提で、お互いのメリットでなりたっていたのだと思う。世間に広く認知や告知をするメソッドが大マスコミが圧倒的に独占市場だったからだ。

ただ現在告知のツールはSNSYoutubeを含めて多様にある、新聞というメディアが役割として大きな位置ではなくったのに、当の記者や新聞者達は私たちはこういう崇高な理由のルールなので従ってもらわないと困る。という上からの態度なのがずれているのである。 単純に「あ、それならいいです」と言われているだけの話。

公正性も編集権も真実のためにと言われてもね。

twitterでもウェブでもYoutubeでもなんでも「孤独のグルメ」の周知は広めれるし、すでにかなり周知されている。そういう所への取材はむしろ新聞者が自分のところのコンテンツを充実させるために取材すると言っても過言ではない。この自分たちの立ち位置を客観的に見れていないのが、問題だと思う。 すべての業界に言える事かもしれない。 

特に日本語は「てにおは」で文章の意味や、感じ方が変わる久住先生は原作の人なので、言葉を大切にしているので編集権限は気にするだろう。新聞は自分のイデオロギーのために事実を恣意を含むニュアンスで変えてきたことがあったと私は思う。 おそらく、それは文化や芸能の記事にもあったんだろう。それが、今まではパワーバランスで我慢することが前提だったのが、力が落ちたので不満が顕在化しただけなんだと思う。

なにがヤバイかというと、このルールの善悪について語っていて、新聞者がマイナーメディアになっている事を問題として認識しているように思えない。 そもそもマイナーなメディアや媒体は、ずっと前からこういう取材の断りは受けていたんだと思う。

当の新聞者が申し込む人が、自分の立ち位置とスケール感をわかっていないだけで、それがとても恐い。

今回の事は「大新聞を取材を断るなんて」という奢りが見える気がしてしょうがない。