セクハラって騒ぎすぎじゃね?と男の「女性口説く自由」を守れと100人のカトリーヌ・ドヌーブなどのフランス女性が署名した

フランスを代表する20世紀の美人女優で名前が必ずあがるであろう女優カトリーヌ・ドヌーブは2018/1/9に仏女性ら100人と連名で書簡で述べた。

これはハリウッドの女優が黒いドレスでセクハラの告発に抗議した(#MeTooムーブメント)事に関連しての事だろう。恋愛に自由なフランス人らしい、面白い抗議だ。

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なにしろ、ご本人「美人ですね」と言われても「生まれてからずっとこうだったから、そう言われてもわからないわ」と否定しない、堂々っぷりの粋さだ。

2012年にアニー・リーボビッツが手がけたルイヴィトンシリーズに登場した写真は当時還暦を超えていたにもかかわらず、圧巻の女っぷりを見せた。

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内容はセクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)をめぐる一連のスキャンダルによって、新たな「ピューリタニズム(清教徒の思想)」に拍車がかかっていると非難している。

 

 

 

また「レイプは犯罪だが、誰かを口説こうとするのは、たとえそれがしつこかったり不器用だったりしても犯罪ではないし、紳士的な男らしい攻めでも違う」「誰かの膝に触ったり唇を盗もうとした途端に、男性たちは罰されて職場を追放されている」とも書かれているらしい。

ソーシャルメディアフェミニスト運動は魔女狩りになってしまい、人生の中で宝石のように輝く体験である恋愛を妨げる結果になってしまうのでは?と最初は簡単におっしゃてるように思っていました。

 

こちらに全文翻訳をされている方が、内容を掲載してくれています。

[翻訳] ドヌーヴ「女性を口説く権利」 全訳

 

これを読むと単なるタイトルだけの抜粋ではおさまらない、深い意味があるようですね。女性を保護するための運動で粛正の嵐を起こすことにしてしまうと、文化のとらえ方や恋愛やコミュニケーションのあり方をゆがめてしまうのでは?その手綱をにぎっているのは女性自身ではないのか?と問いかけています。

とても思慮深い哲学的な話です。社会や男性に何かを求めているのではなく、同じ女性に問いかけています

 

この話で思い出すのはフランスのミッテラン大統領に隠し子がいたとスキャンダルが流れた時の事です。

この取材を日本のワイドショーがした際の事です。

日本の奥様達は例に漏れずインタビューでは、「まあ、立場のある人はちゃんとして欲しいですわ」的な事を口々に言っていた。

ところが、パリの街角でインタビューワーがその後の答えを期待してのように「隠し子がいたとわかったようですが、どう思いますか?」と友達の隠し事を、先生に告げ口する奴のようにマイクを突きつけたが。

パリの奥様達の答えは

「まあ、子供が多いって素敵な事ね」

「仕事には関係ないから、それはプライベートな事ね」

「どちらに似てるのかしら?」

「どうして非難するの?恋をすることは大事だわ」

 

など、完全に肩すかしをくらわされていた。

当の本人も1981年の大統領就任直後の記者団との朝食会の席上で、婚外子の娘について質問されたとき、「それがどうかしましたか?」(エアロール?)とミッテラン氏は切り返した。

恋に寛容なパリの神髄

恋に寛容なパリの神髄を見たような気がする。

話もどって、やはりフランス人はこのアメリカ人の人の余白やハンドルの遊びみたいなものがない人間関係をすごく嫌うようだ。

前向きでバイタリティーがあり、とにかく対決してやっつける事で社会で位置づけていくのを不粋ととらえとても嫌う。

全世界がセクハラは良くないよね?というシングルイシューにしてしまうのは、とても恐い事だというのをこの歴史の古い国の人たちは警告している。

人の業のバッファを見ないと、生きにくい社会になるよって言ってるような気がします。

このあたりの話は以前に書いた

jinkosky.hatenablog.jp

の話にも通づる話だ