まっすぐな人が自分から胸を開いての俺も昔悪かった話は同世代から見ても違うと思うぞ

西ノ宮市長の事が少し話題になった、この批判に対するまっすぐな返し、まっすぐすぎて全然わかってないのが、余計痛々しい。

http://xdl.jp/diary/?date=20161219

いい人や熱いスピリッツをくさすつもりはないよ。
本人体育会系の人間だったので、十分理解できます。

この市長は、そのあたりのへっぽこ議員よりは十分期待しています。いい人そうだし。

いい人大事!

ただ、そのまっすぐなオレオレな思いは、今の子供のおかれている状況を単純に自分の時代に照らし合わそうとすると間違いなく見誤ると思います。
もちろん昔となんら変わらない部分もあります。

子供だけが変わったのではなく、大人と社会が変わったのではないでしょうか?

スピードアップと効率化やデフレとソーシャルが生む未来への閉塞感を私たちは幸いにも呑気に知らずにゆったりとした時代を(今から思えば)過ごしてきました。
ただでさえ多感な思春期にそれに対峙するストレスを私たちは、もう大人なので理解できません。 せまい世界で大人は楽しいものだと思えました。
事実その頃の大人は楽しそうでした、早く大人になりたいと思いました。

でも今の大人はどうでしょう?

公園で危ないのでボール遊びをしてはいけないと決めてるのも大人です。
運動会で平等にするため順番を付けないような事を決めてるのも大人です。
電車や町中でマナーが悪いのは大人のほうが多いのです。
タバコで言えば、町中でタバコ吸ってポイ捨てしてるのは圧倒的にオッサン。
後の事考えずに年金行政破綻させてるのも大人です。

現実としてバカな大人に対峙している子供たちに「俺も昔はバカやったぜ」というシンプルな思春期のこじらせ方で共感をイメージするのは、僕の中では違うんです。 こういういい人って、だいたいそういう複雑な背景への配慮が足らないんですよね。

なんだろう熱く真っ直ぐに間違っている人って、悪いと思ってウソついている人よりやっかいですよね。オーガニックフーズ好きとか..

どんどん情報のスピードが上がっていって、時間がなくなり。
ソーシャルやネットに自分の過去が残され、半ば監視社会になっている
そんな世の中にしたのは大人です。

受験も就職もどんどん前倒しで、充実した生活が良いと、すき間のない生活が良い。

やり甲斐や生きがいをもってない人生はくそだ!という雰囲気にしたのも大人。
そうして生活の余裕をどんどんなくして消費のスピードをあげておいて、俺も昔はバカやったぜ!おまえらも若いんだから少しは回り道したったっていいんだぜ!という人は、はっきり言って無神経だと思うんだよね。

 

 

 

同世代ながら、こういう人が多いことを今の若い子に謝りたい気分だ。

もちろん地方により差があり、まだそういうところもあるかもしれません。

ただ、この市長がいる住宅地のようなところでは、おっさんが昔のバカ自慢とかしてるのを寒いと感じてる子が多いはずです。

アンケートの事を書いてますが。

そういう残るところでは面と向かって言わないんですよね。そんな事すると、バカなヤツってソーシャルでさらされるからね。だからサブアカが必要なんです。

たぶんこの女子の意見とほぼ同じ。

 

今の方が昔より建前と村社会が進んでいるんです

個性や個人の資質を伸ばすという教育を目指して皮肉な話です。
たとえば今の小学校はジェンダー差別をなくすために、名前でなく名字で呼びましょうというところが多くあります。ただ、幼稚園の頃から名前で呼んだのに今更へんですよね?当人達がそんな差別意識してないのに。
なので、先生の前で名字で呼び、放課後は名前で呼ぶと言う使い分けを子供達は勝手に覚えます。

子供達はネットで匿名で言ってますよね、子供におまえら!って言う前に、おっさん達の同世代のヤツなんとかしろよ!ってね。

尾崎豊の世界をつぶしたのは、他ならぬ大人なんですよね。

ま、俺は昔から尾崎豊は理解できんかったけどね。

なぜか校舎の窓ガラスなんて割ったことないような教室で一番前に座っていたようなヤツが「うぉー尾崎わかるぜー」ってジージャン着て言ってるのが気持ち悪いので。

尾崎さんのミュージシャンとして才能は認めますよ。

なので、たまたまこれを呼んでおっさんの同世代がいたなら、呼びかけたい。
今の若いもんは!なんて言わないで、今時の同世代のオッサンをどうにかするようにまず心がけましょうぞ!