ブラックジャックによろしくから癌治療の情報をアップデートしてください

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ブラックジャックによろしく・がん医療編

現在の抗がん剤否定論者の中に、この影響を受けてる人が多いのが見て取れます。
【がん医療編 5〜8巻】において、膵臓がん患者の抗がん剤治療がとりあげられている。

医師が未承認薬をすすめるが、副作用に苦しむが癌の根治には結びつかない抗がん剤への処方の是非で葛藤する若い医師が中心となるストーリーである。
もちろんストーリーとしては創作だが、薬の名前などは当時のものが実際に使われ、抗がん剤TS-1が題材として使われています。もちろん、当時の状況について多少の演出はありますが全て間違いだとは思いません。

とくに、年配の患者に未承認の抗がん剤をすすめて月に数百万の負担をさせるストーリーは心を締め付けられます。
このヒット漫画の影響は小さくなく、抗がん剤否定派に組みする今でも1つの起因の多くになっていると思います。反対論者もよくあげていたり、これに基づいた主張も多く見られます。

漫画による絵とストーリーの組み合わせからのイメージは強力で、医療業界や製薬業界に悪のイメージを持ち現代医療を否定する方向へと行く人を増やしたのでは?と思います。

たしかに当時の医療に関する重要な問題定義としては一つの役割を果たしたと思います。逆に代替治療やサプリ、自然食品たちにも利用され必要以上に現代医療へのアレルギーを持ってしまった人も増やしたのでは?と思います。

 

 

 

この漫画はもう15年前の話

現在においても、この情報をアップデートしていない方が散見します。

まず前提として、癌とひとくくりに呼ぶのがどうかと思うくらい、大腸癌や胃癌、血液系の癌では全然違う病気なくらい違います。しかもこの話題に取り上げられた膵臓がんは、そもそも中でも早期発見が難しく治療の難易度も高い一つです。
膵臓がんは発見された時点でステージが進んでいる場合が多く、他の腫瘍でもステージが進んで遠隔転移が始まっていれば元々根治は難しくなります。

しかし他にもいろいろな記事で書いていますが、癌治療はここ数年でゲノム解析がはじまってから以前の何倍ものスピードで進化しています。分子標的薬や免疫チェックポイント阻害剤などは、今までの薬と根本的にアプローチの違う薬が出てきています。

jinkosky.hatenablog.jp

jinkosky.hatenablog.jp

 

この漫画が書かれた2003年、15年前といえば、まだスマホは無くやっと写真が送れるガラゲーが中心の年です。そして六本木ヒルズがオープンし、郵政民営化が行われた年です。

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携帯で写真が撮れて送れる事に何の意味があるの?と話題になりました。
どれだけ前かを感じるでしょうか?
この時代の話を元に現在の医療を否定するのは、ガラゲーの知識でスマホを語るようなものです。たぶん、話が通じないでしょう。

コンピューターの高速化とネットワークの整備

一見スマホと医療の話は関係ないように思いますが、大いに関係があります。ゲノム解析そのものは2000年前後からはじまっていましたが、その後のコンピューターの進化が開発スピードに多く関係しています。
現在みなさんが使っているPCやプレイステーションのCPUは20年前ならスーパーコンピュータレベルの処理能力といっても過言ではありません。つまり、莫大な予算でなくても処理能力の高いPCを手に入れる事が可能になり膨大なデータを処理しシュミレーションする研究をより多くの研究者が可能になったのです。

ゲノム解析とネットのエコシステム

エコシステムとは省エネではなく、生態系の意味で生態系の枝葉のようにシステムは進化していく事です。
PCの進化とともにネットワークの発達による通信環境も開発の進化を加速させます。
ラボでしか置けないような検査機械や環境を時間単位で使えるようにして開発システムを構築する事が可能になります。
ゲノム解析をしたい部分を送り、その解析データをネットで返してもらいシュミレーションし薬を開発する高価な機器を持たない開発を可能にしました。

 

もう少し現代医療を信じてみたら

現代医療をすべて正しいとも思わないし、間違った過去もあります。しかし薬害の問題などを描くときに、ドラマ・漫画・ニュースなどでも一様に大病院、製薬会社は悪という単純なシナリオに影響を受けすぎていないでしょうか?

もう少し信じてみてもいいのではないでしょうか?不治の病と言われたエイズや、C型肝炎に関しても新しい薬で対抗策が出来ています。

IPS細胞で今までできなかった治療ができるかもしれません。

今あなたは、Windows98の機能を頭に思い浮かべながら「しょせんPCなんてさー」なんて、スマホを持った若者に言ってるのかもしれません。

 

 

 

 

 

病院は患者を待たしすぎ?最近の雑誌は取材をしないで記事をかいてるんじゃないか?

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数年前妻の病気をサポートするため、病院に頻繁に行った。その時病院もいろいろと変わったものだなと思っていた事がある。

もちろん待ち時間がないとは言わない、だがこの記事を見て本当に取材をしているのかと感じた。

リンク貼ってたら、なんかまずかったのか?消しやがったんでキャッシュから魚拓取って貼ってやった。

 

記事の内容は、作家の伊集院氏がやたらと病院で待たされ、いざ診察でも医師の態度が不遜だという話から、日本の医師も少なくヨーロッパのようにホームドクター制度もなくいかにも日本は遅れているのでは?というような記事だ。

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「サービス業」の意識ゼロ

週刊現代8月11日号の連載「それがどうした」で、伊集院静氏はこう綴っている。

〈小娘に舐められ、挙句、支払いでまた待たせられて、人間に対する扱いではない。
どこの大学病院とは書かぬが、新橋のG恵大学病院の関係者よ、こういうやり方を当たり前と考えているなら、天罰が下るよ〉

伊集院氏は、目の治療のため診察に訪れたところ、いつまでたっても受け付け番号を呼ばれず、結局1時間45分も待たされたという。

さらに火に油を注いだのが、受付の事務員や医師の不遜な態度だった。待っている患者たちの目の前で、受付の若い女性事務員は笑いながら話しているし、診察に当たった医師は「暑い折に、長い時間お待たせしました」の一言もなく、人として当然の気遣いすら見せない。

治療のために訪れた患者を、待たせて当然という態度が許せなかったのだろう。

怒っているのは伊集院氏だけではない。読者からも「伊集院さんの言う通り。病院は患者をなんだと思っているんだ」と大きな反響があった。

大学病院や特定機能病院を受診するには、基本的に紹介状が必要となるが、予約しても1~2時間待たされることはザラにある。

やっと診察室に辿り着いたと思ったら、わずか2~3分で診察は終了。会計でまた長時間待たされる……。そんな状況に多くの患者はイライラしている。

だが、少しでも文句を言おうものなら「モンスター患者」扱いを受け、まともな診療すら受けられない。およそ世間一般の常識とはかけ離れた価値観が支配する空間――それが病院なのだ。

都内の総合病院に勤務する内科医は、悪びれる様子もなくこう語る。

「患者さんが多すぎるので、時間がかかるのは仕方がないんです。救急患者が運ばれてくることもあるし……。

こっちも一生懸命やっているんですけど、一人一人丁寧に説明していると、ますます時間がかかってしまう。熱心な医者ほど待ち時間が長くなるというジレンマもあります」

OECD経済協力開発機構)のデータによれば、人口1000人あたりの医師数は日本が2.4人なのに対し、ドイツ4.2人、フランス3.4人。

日本は一人の医師に対して、患者数が多いのは事実だ。しかし、それを踏まえた上で、患者を待たさない努力を病院がしているかといえば、疑問符が付く。

Photo by iStock

『「いい病院」「悪い病院」の見分け方』の著者で、病院のコンサルティングも行う武田哲男氏は「そもそも病院には『サービス業』という視点が欠如している」と語る。

「どの企業でも一番大切にするのが『顧客満足度』です。普通の企業だったら、お客さんに満足してもらえるように、商品を改良し、より使いやすくするなど努力するのは当たり前のことです。

でも病院は違う。何もせずともお客さん=患者が来るし、どのような診療の仕方でも同一の治療なら同じ報酬が受け取れるため、営業努力を怠っている病院があまりに多い」

結果、その怠慢が「患者を待たせることの何が悪いのか」「待つのが嫌なら来なくていい」という上から目線の医師を生んでいる。一方で、米国や欧州では日本のように待ち時間が長い病院はほとんどないという。

「フランスやドイツでは、ホームドクター制度といって、まずは『かかりつけ医』に行って、手に負えない場合に限り、紹介状を書いてもらい大病院を受診できるシステムになっているので、日本のように患者が一つの病院に集中することはありません」(東京放射線クリニック院長の柏原賢一氏)

現在、厚労省も「かかりつけ医制度」を推奨しているが、まだまだ欧州ほど浸透していないのが現状だ。だが、患者数は減らせなくとも、患者のストレスを軽減するため、待ち時間を工夫するくらいはできる。

最近では来院の際、受付でQRコード付きの整理券を配付し、スマートフォンで読み取ると、リアルタイムで自分の待ち時間がわかるシステムを試している病院もある。

こうすれば、院内で待つ必要がなく、外に出て用事を済ませることもできる。ほかにも電子カルテを導入し、会計までの時間を短縮する動きも出てきている。

「たとえば問診票をデジタル化し、待ち時間の間に患者さんにしっかり記入してもらえば、いざ先生と対面したときに一から説明しなくても済みます。言い忘れを防ぎ、面と向かって言いにくいことを伝えられるメリットもある」(医療ジャーナリストの片田直久氏)

少子高齢化が進み、患者の取り合いが起こり、経営が立ち行かなくなる病院も増えているこの時代。「患者は待たせて当たり前」「ほっといても患者は来る」と考えている病院は、間違いなく淘汰されていくだろう。

週刊現代」2018年9月1日号より

この記事は1人の印象を持ってネットで調べられる数字や流布している雰囲気をつなぎあわせて書いているように思えてならない。

自動化された受付から診療開始

私が行っていた病院では診察券で自動受付で受付すると、ガラゲーサイズの呼び出し端末が渡されそこに呼び出しと音で知らせてくれる。その間は外で出てても病院内の喫茶店にいてもかまわない。呼び出しも少し前と、呼び出しの2段階なので、それほど遠くなければ大丈夫。

予約制も浸透しているため、毎回とか言わないが確実に昔よりは待ち時間は改善している。

診察券はIC化され、電子カルテルで診療を受ける科をまたいでもカルテは共有され支払いまで呼び出し端末は対応し計算完了で自販機で払えば端末をダストのようなところに返して終了だ。

最近は調剤薬局も指定すれば、リストを自動で流してくれて予め準備してくれるところもある。

もちろん待たされる時間はある

医師が1人1人診ているのだから、時間を能率で区切るというわけにはいかない。

もちろん待たされる事もあったが、ある程度は致し方ないと思っている。逆に診察1人30分なんて決めてる医者なんて恐くてイヤだ。

これ以上の効率化を図るなら、役所や税務署の完全電子化まで含めて抜本的な改革が必要ではないだろうか?日本は、まだまだいろいろなものを紙で置いておかないとダメな社会的インフラがいろいろなところに残っている。

またはアメリカのように富裕層に向けたステータスの違う病院で、金はバカ高いが病室もホテル並で、お迎えにも来てくれて待ち時間がない病院を作るかだ。

この記事の伊集院さんのような人はアメリカなら確実にそういう病院に行っている。当然優れた医師もそちらへ集まる。ギャラなり研究費がぜんぜん違うのだ。

 

 

 

改善が確実に進んでいる

先日簡単な手術を受けた国立病院でも、予約・受診の呼び出しから精算までは自動化されひと昔前よりは改善の余地が十分見えた。

もちろん、コンビニみたいにすぐ受けれるわけではないが、この記事にはそういう最近の改善やいろいろな実情を見た形跡がまったくないのである。

それを補うために、大きな話に逃げて医師の少なさを上げている。よくある手法である。細かいディテールの話をしている時に「結局君にとって平和って何?」みたいな抽象的な質問で意表を突こうとするディベートおじさんと同じだ。

拠点病院を地元の病院

たとえば、ここに上げているホームドクター制度もこういう既視感のあるステレオタイプの批判記事によくあがる事の一つだ。

日本は各都道府県の大きな拠点病院が地域連携室などが連携し、紹介やカルテの共有などの町や村での病院との連携での効率化を図っている。

たとえば、おおきな病院の手術の後のケアができる病院は近所ならこことここなども教えてくれるし。町の病院から段階的に紹介で、病院を紹介していくシステムも機能している。ホームドクターのほうがいい面もあると思うが、やはりコストと人数で面で違うように思う。

ベンツと軽自動車をシングルイシューで比べちゃだめ

たとえば、コスト面は患者側だけでなく供給面の話も、ただせさえ医師が減っている田舎にもホームドクターが適している?記者さんあなた都会で住んで記事書いているからわかってないんじゃないの?年寄りばかりの限界集落にだれがホームドクターで行くの?強制できるの?

ベンツも軽自動車も同じ車で、どっちがいい車か?は性能で比較すべきではない、よりパワーがある、よりスピードが出るで比較するのではなく、使う人の目的に適しているかどうか?予算のバジェットも含めて。それが正しい比較です。

そのあたりは、とても難しい話のなはずなのに、なんか最近こういう記事みたいな、そのあたりの数字と親父がよく新橋あたりで言っている価値観で簡単に記事書いて問題定義ってぽく書いている記事が多いんじゃない?

 

雑誌が売れなくなってきたのは、人が文字を読まなくなったって言い訳にしてない?

浅いよ

 

ヤマザキパンがカビない話をいまだに「これ知ってる?」って書くの恥ずかしくない?

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渡辺雄二という「買ってはいけない」シリーズをたくさん執筆しているジャーナリスト(?)がいる。肩書きは科学ジャーナリストらしい。

千葉大工学部合成化学科を出たらしいが、理系ではあるが食品についての研究を専門にやったわけではない、消費生活問題紙に入社してからいきなり、このような記事や出版をはじめた。

調査したと言っているが、彼は特に研究や実験をしたわけではなく全て情報源は他人の取材である。

言っている事の全てがデタラメではないが、彼の極論やミスリーディングを意図して誘う文章、間違った認識がかなりのナチュラリストなどに浸透し、ノイジーマイノリティとして世論をゆがめていると思う。

やりだまにあげられたヤマザキパンの臭素酸カリウム

もっとも最初に流布された話が、この「ヤマザキパンはカビない」の話で臭素酸カリウムというヨーロッパでは禁止されている発がん性の物質をいれているのでヤマザキパンは不自然にかびないのだという話。

まず一つ目の誘導的理論展開は、名言こそ避けているが臭素酸カリウムがとても特別な物質であるように書かれています。例えばヤマザキパンのせいで、人が口にするはずのなかった発がん性物質を体内に入れてしまっている、というニュアンスです。

しかし、この臭素酸カリウムは実は普通の水道水にも含まれます。魚肉練り製品などにも入っています。ちなみに水道水の臭素酸カリウム浄水器では除去できないです。除去の対象になっていません。

パンに入る臭素酸カリウムは非常に微量で、ましてや高熱で焼き上がったあとはほぼ残っていないと思われます。化学物質の有害無害の話をする時に「量」の話を無視して話しするのが、こういうトンデモ科学の人たちの常套手段です。この程度デトックスできなかったら、人はとっくに死んでます。

例えば和歌山カレー事件で猛毒のイメージがあるヒ素ですが、米や海産物にも含有されますが食品安全委員会でも健康被害は報告されていません。

私たちは一生のうち、どれだけ米を食べているでしょうか?

一度に接種する「量」の問題なんです。一度に多く接種すれば塩でも醤油でも命の危険はあります。

そして臭素酸カリウムのパンへの使用は2014年以降は行われていません。アメリカではまだ一部使われているようですね。

 

 

 

国産小麦神話とカビ

二つ目は、臭素酸カリウムは防カビに使うものではないということです。

小麦を扱うメーカーの人に聞けばわかりますが、よく最近のパンなどで国産小麦使用を売りにしたりしていますが、国産小麦はパンに使うにはオーストラリア産などと比べて優れた小麦ではありません。

ランクとしてはオーストラリアやアメリカ、カナダの小麦に遠く及びません。海外の小麦のほうがグルテン含有量が多いためパンが膨らみやすくパンに使うのに向いています。この臭素酸カリウムはパンに向かない国産小麦をふっくら焼くために使っていたそうです。

この時点で完全に科学的視点は抜けている論だと言えます。食べる食べないを置いておいて臭素酸カリウムを大量に入れればカビないかというと、そんな事はありません。その程度の実験もせずに、こう言うのは最初から結論がありきだからです。

そしてカビるカビないの話は簡単で、家で焼いたパンのほうが早くカビて、ヤマザキパンがかびないのは衛生管理された工場でつくっていないからです。

カビはいたるところにありますが、家でパンを焼くときにエアーダスターで全身のほこりを取り、1日ごとに消毒される服に着替え髪の毛も完全に帽子で覆い焼く人はいません。もしも同じ食材で焼いても大手メーカーの工場内で焼けばカビの発生は遅くなるでしょう。ただ、それだけの事です。

家で焼いたパンは作った時点で、すでにカビの菌がたくさん入っているだけです。

もちろん先ほどの量の概念で、その程度口に入れても健康に害はありません。

画像のイメージで洗脳されるショートシンキング層

これは温暖化の時の南極の氷がバーッと割れる映像と同じです。なにか、とてつもなく氷が溶けているイメージは言葉だけで聞かされるよりも温暖化を強く印象づけられます。

このアメリカの元副大統領アル・ゴアが行ったメディア戦略はアメリカの高度な広告映像などをつくる手法で作られています。

実際には南極の氷は、夏になれば昔からあのように溶ける時期があります。最近は冬の寒冷期が長く全体的に南極の氷が増えている事が報告されています。物事を熟慮しない層は思想を誘導されているわけです。

それは映像もふくめて「雰囲気」で、善し悪しの判断をゆがめられているのです。

もちろん、そこには大きな作為が感じられます。

大手メーカー=悪という構図で、機械的な工場は添加物を多く使用しているという安直なイメージを、事実の断片をつなぎあわせて補完していきストーリーを作ります。

映像の時代になった今は、ヤマザキパンと家で焼いたパンに日ごとの変貌の仕方を画像で見て強烈なイメージとして焼き付けます。

アメリカは移民や貧困層なども多く、実は文字を読めない層(英語)が多くいます。映像による扇動は選挙でも見られるように大変よく使われています。
ほとんどの人が大学を卒業もしくは最低でも高校を出ている日本で、なぜこんな非化学的な事が雰囲気だけでまかりとおるのか?広告で作られたメディアのマナーが悪いように思います。

ある意味炎上芸人

ひとつの本を見るのでなく、これまでどのような本を出しているか見るとわかってきます。

Amazon.co.jp: 渡辺 雄二:作品一覧、著者略歴

この本の一覧を見てると、たとえて言うならこの人は何を芸にしているのがよくわかる。30年近く科学ジャーナリストだと言うが、ラボで研究したことも実験を繰り返したこともネイチャーに論文を書いたこともない。

この人の言うことと食品衛生学の教授との言葉のどっちを信用するかを、記事を見た人は、よく考えたほうがいい。大学の教授がすべて正しいとは言わない。ただ、この並びを見ていると反響があり売れるから続編を出しているようにしか思えない。

先にバズりそうな議題を見つけてから、それを補てんする噂や風評、都市伝説を集めて断片をつなぎ合わせる。

自分の身体に入れるものの事を真剣に考えようと言う、それなら自分の脳に入れる文章も真剣に考えよう。

すくなくても、読んだ本が訴える説の反証くらいは探してみよう。

 

 

何をもって高潔とするのか、自慰行為よりも深きカトリック教会の罪

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カトリックの神父は貞潔の徳を極めて重要と考え性行為や自慰行為さえも禁じたストイックな生活を営んでいる。

貞潔とは、性欲のみごとな人格的統合であって、それによってもたらされる肉体と精神を併せ持つ人間の内面的な統一を意味する。人間が肉体的かつ生物学的世界に属することを示す性欲は、人格と人格とのかかわりの中で、男性と女性とが時間に捕われることなく互いに全てを贈り物とする時、人格的かつ真に人間的なものとなる。したがって、貞潔の徳は人格の統合と全面的な自己贈与を含んでいる

それは情欲を抑制し高潔な人格を得るためであるそうだ。細かい宗派により差はあるが、現ローマ法王も「独身制は永遠です」と語っている。

 

高潔という言葉に反して最初にTIMEに掲載された、この記事はショッキングな内容だ。

www.cnn.co.jp


ペンシルバニアの司教は7歳の女の子を強姦し、別の聖職者は9歳の男の子にオーラルセックスをさせ、その口を聖水で洗ったなどショッキングな内容で、1940年代から延べ1000人の子供達がペンシルバニアの約300人のローマカトリック聖職者の犠牲になったというものだ。

聖職者に固く口止めされた表立たない例を含めると、犠牲者はもっと多いのだろうろ予測されている。

政治や法曹界が、このタブーを避けてきたことが被害者を増やし、すでに加害者の多くが亡くなっていると告げている。

陪審は再三この事実から目をそらし告発された聖職者達を警察に突き出さず被害者に秘密保持協定を結ばさせ、聖職者達を治療施設に送り事実上法の裁きを受けずに終わらせた例も多く報告され。事態の抑制にならなかったと述べている。

 

 

 

これだけの問題がおきていても貞潔の徳は必要なのか?

この問題はアメリカで起きた問題だが、アイルランド、メキシコ、オーストリアといった国々でも訴訟が起き、イギリス、オーストラリア、オランダ、スイス、ドイツ、ノルウェーにおいても行われてきた性的虐待が問題となっている。

どう考えても、性欲の問題を自身で律する事ができていないわけである。

日本のお坊さんでも宗派により自由度が違い密教などでないかぎり、自由な宗派もある。

たしかに、普通に結婚して、近所のスナックにも飲みに行っておねえちゃんと肩組んで歌っているような坊さんに「人間の徳とは」とは語られても値打ちがない。

ストイックで高邁な精神はけっこうだが、それで犯罪者が増えたらなんのこっちゃわからない。なんなら、この人たちは自分の犯した子供達の親の懺悔とか聞いてて「悔い改めよ」とか言っちゃてるわけです。

盗人猛々しいとかこの事です。お前が「悔い改めよ」って感じです。

もちろん、きちっと守っておられる神父様のおられるのですが、この問題を真摯に改善しないとカトリック教会の信者は減るように思います。

ローマ法王が異例の全信者宛て書簡

8月20日ローマ法王フランシスコから全カトリック信者宛に異例の書簡が発表された。

 

jp.reuters.com


 

全世界の当てて書簡を発表するのは、歴史上はじめての例でそれだけ今回の問題の表面化が深刻な問題であることがわかる。

 

杉田水脈の『新潮45』のLGBTに関する記事は、言いたい事はわかるが国語力がない事が悲劇

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杉田水脈が『新潮45』に寄稿した記事に関して野党も批判し、なんでも政権批判に結びつけたい人も乗っかって話題になっている。

www.asahi.com

最近よくある記事の部分的な「物言い」が抽出(トリミング)され、どんどん一人歩きし様々なイデオロギー主張に利用されていく。

ましてや文中で批判された朝日新聞、それに連なるリベラルメディアのアレルギー反応は相当なものだ。

原文読んでみた

やはり原文の全部を読まないで批判するのは良くないと思い、新潮45の寄稿を読んでみた。ま、元々なんでも乗っかれる材料を探してイデオロギー主張に利用する人たちは文章の本意なんでどうでもいいんだろうけど。

まず、もちろん突っ込みどころを与えたのは国語力の問題だ、すでにメディアで取りざたされているが「子供を産めない事を生産性がない」というところと「LGBT」でない事を「常識」、「普通であること」と言ってるとこだと思います

たしかに、この文言は当時者でない私でもあまりいい印象は持たない表現です。

ですが、文全体で言っていることは最近の欧米のメディアでも、よく言われている事でめずらしい話ではありません。

しかもLGBTの中でTを別に扱うべきだとか、当時者へのヒアリングなどむしろ、そのあたりのオッサン議員よりもきちんと対応している感があります。その中で、税配分のプライオリティとしては母数から考えて優先事項が他にあるんじゃないの?という意見です。

以前にも感動ポルノについて書いた事があります。

jinkosky.hatenablog.jp

個人的には、既視感がある話です。人の注目を集めるのは感動的でないとダメなんですという考え方です。感動も求める人は、自分の思っている悲劇や感動も対象者に期待するという話です。それはソーシャルグッドにも繋がる話だと思っています。

 

 

 

ソーシャルグッドへの批判

数年前から企業が広告に社会的貢献の取り組みを加味することがトレンドとされ、様々な広告に取り入れられてきた。

難民支援、エイズ、シングルマザー支援、環境、LGBTなどCSRなどとして行ってきた活動にストーリテリングを持たせて広告に利用し認知や社会的インパクトを印象づける戦略としてソーシャルデザインされてきました。

もちろんNPONGOも、多額の予算を得るために広告プランナーと一緒にキャンペーンなどの企画デザインに参加します。

ただ、世間がそういうものをたくさん見かけるようになってくると、あざとい狙いだけが見え透いて来るものも多く出てきます。

その中で使いやすいもの、目立つものを使用し安直なものには「なんだ、いい事してるって言ってるけど金儲けのために利用しているだけじゃん」という事を多く聞かれます。事実そうなのだから、しょうがない。

いくつもの大手企業の役員が、本当にLGBTに理解があるわけではありません。ただ広告トレンドだから代理店に言われるがままそういしているだけの場合が多く。ちょっとした言動や他の企業活動との齟齬で突っ込まれたりすることもしばしばです。

もちろん素晴らしい例もあり、すべてを批判するものではありません。作り手が本気でレスペクト持って作れば素晴らしいものができます。ロンドンパラリンピックのCMはもっとも気持ちいいひとつです。

今までのパラリンピックのものが「見に行ってあげよう」というノリのものだったところに、このCMはMeet the Superhumansと「こいつら超人じゃね?ヤバイくね」というノリですごくパラリンピアンをクールだと描いています。最も成功した例ですが、作り手の気持ちが見えます。

www.youtube.com

ただ残念ながら、利用しているだけ感が見えるものがたくさん広告代理店により生み出されてるのも現状です。

彼女は言ってるのは社会設計がソーシャルグッドでおかしくなってる。という話

彼女の寄稿を全文読んでいると、朝日新聞につならるリベラルの人や議員達がソーシャルグッドの波に乗ってLGBT支援を公的に組み込もうとしてるけど、いやいや社会設計の優先順位として子育て支援のほうが優先しょ?ってしごくまっとうな事を言ってるっわけです。それは、数の分母が違うから。

日本の各自治体がドバイみたいに金持ちならいざ知らず、税金から得られる予算はかぎられるので、予算は優先順位をつけて配布しなければならない。

なのに一部の政治家がLGBTを人たちを思うのではなく、LGBTに理解があるっていいじゃん!って思う人たちの支援を取りたくて自治体の予算に無理矢理組み込もうとしてるということです。

実際のLGBTでもきちんと読んで、別に反論ないと言う人もいる

twitterで数人のゲイの人たちが、ちゃんよ読んだけど私は別におかしな事は言ってないと思うという冷静な意見を表明もしていました。

言葉狩りが先行して、マスコミは「生産性」という言葉遊びに終始し根本的な話にまったく踏み込まず浅い議論で終始する。

ファスト思考の典型ではないでしょうか?日本はマスコミも含めてスロー思考をきちんとしないとまずい事になるような気がする。

なにより、主張するほうも取材するほうも読むほうも国語力である。大学まで母国語で勉強できる国は世界に少なくない。LGBTや安保などセンシティブな話をするときこそ国語力が必要だと思う。

 

オーストラリアの科学者が、癌細胞を永久的に眠らせる今までとまったくアプローチの違う新薬を開発

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オーストラリアのJonathan Baell(ジョナサン・バエル)教授、Tim Thomas(ティム・トーマス)、Anne Voss(アン・ボス)准教授のチームは、マウスのがん細胞を永続的に休眠状態に置くことが可能になる新しいタイプの薬を発見したと2018/8/1Nature Natureに掲載された。

www.abc.net.au

 

まったく新しいアプローチ

10年の研究を経て実現化されたこの薬は、今までのがん細胞を駆逐する、攻撃するタイプの薬物治療は細胞に不可逆的なDNA損傷を引き起こすリスクも内在し健康な細胞も攻撃してしまう副作用も考えられます。

この新薬は、がんの成長を促進する特定のタンパク質の生産を止めるように設計されています。

"細胞は死んでいないが、もはや分裂し増殖することができない。この能力がなければ、がん細胞は事実上止まってしまう”

という考え方のもとに研究し、癌の進行を停止させるか、またはヒトにおける再発を遅らせるのに有効であると考えました。

次のステップは、この概念が具体的にエビデンスを持ち、これからぞれぞれの癌や人に対して適切に働くたんぱく質と化合物を特定していく事だと述べられています。

また臨床まで行くには少し時間がかかりますが、とにかく副作用なく癌の進行を一次停止できる薬とは非常に希望がもてる話です。

 

 

 

大手製薬メーカーも含めた数々の失敗の果てに

トーマス博士曰く、この開発は数多くの大手製薬会社が過去に試みながら、ことごとく失敗に終わり。その理論そのものが疑問視されはじめていた概念だったそうです。

これは10年を要しおよそ250万種類の化合物をスクリーニング

化合物を開発するのに数年。実証までにまた数年かかったそうで、延べ52人が関与したそうです。まさに執念ですね。

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細胞増殖を阻止するために新しく開発された薬剤(赤色)の参考イラスト

専門家達も評価する、大きな一歩

ニューサウスウェールズ大学の癌生物学者のDarren Saunders(ダレン・サンダース)は、この研究の重要性を説いています。「この研究は、病気の生物学的な基礎を読み解き、化合物を発見し、そのロジックに沿って医薬品を設計、動物モデルでの試験での成功」まで網羅している。

人に対する薬物としての評価はこれからですが、極めて信頼性のおける内容のようです。現在はこの大規模なプロジェクトへのパートナー組織などを探す段階に入ったようですが、是非全世界的に速やかに進めて欲しいですね。

これが実現すれば、とにかくこの薬で一次停止させ外科的手術や光治療、IPS、分子標的薬などの根治の選択肢を選べるかもしれません。

全部有りの子とユーチューバーを目指す子、現代のカースト

夏の甲子園が開幕する

もうすぐ甲子園が開幕する、現代においては野球が出来る子をスカウトして集めた私立強豪校がほとんどになるだろう。 筋肉バカなどと言うように、昔は勉強はできるけどスポーツはダメとか、頭はからっきしだが将来はスポーツで食べていけるだろうという子が多かったように思う。 ところが、これはレガシーな考えなようだ。

 

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今年も甲子園の常連校の大阪桐蔭が出場する。その中の注目選手の1人が根尾 昴(ねおあきら)君だ。 岐阜県出身の彼だが、投手、ショート、センターをすべて高いレベルでこなすセンスの塊だそうだ。すでに少年野球で日本代表に選ばれ世界大会に参加してるかたわら、スキーでも中学スキー大会男子SLで優勝。 そちらでも将来を嘱望されていたようです。 家庭はご両親ともにお医者様で、中学の成績はオール5で生徒会長もやっていたそうです。まさに全部有りの典型。

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他の例でも見てみよう。ラグビー日本代表に名をつらねる福岡堅樹選手は、祖父の代から医師の家庭に育ち、3歳から中学生まで習っていたピアノを弾きこなし。福岡県下有数の進学校である福岡高から筑波大情報学群に入る。 大学進学で医学部は失敗したがラグビー引退後に再度チャレンジしたいと言っている。

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ロシアワールドカップの出場の記憶に新しい武藤嘉紀は写真の通りのイケメンだが、慶應義塾大学出身、家族がスポーツショップを経営していて30店舗以上を展開しているそうです。お父様も慶応出身。 しかも本人のエピソードが、代表で同じ年齢の宇佐美曰くうそみたいに爽やからしいので、完全無欠です。慶応で同級生だった元CAの奥様と結婚、奥様の父は衆議院議員という鼻血が出そうな構成です。

 

特例だけでない子供のカースト

これは、うちの子供をいかせている私立学校にもちらほらいまして、結果的に宝塚音楽学校に受かった同級生も

・美人

・良い子(性格)

・成績良し

・バレエは先生並

・英語日常会話は大丈夫

・もちろん裕福

という感じです。

こういった、全部ありの子供がちらほら世間に見受けられるようになったのと同時に、こんな子達が増えています。

・勉強できない

・ヤンチャでもない

・スポーツやらない

・もてない(イケメンでもない)

・性格卑屈

・裕福でない

つまり、不良だから勉強しないとか、スポーツばかりしてるので勉強できないというのは一昔前に話で、とにかくスマホやユーチューブやラインやバズドラだけで青春をつかっちゃう子が増えているのです。で、twitterなんかで相手をみつけてはdisりまくりストレスを晴らします。そりゃ暇だわなクラブも勉強もしてなきゃ。

 

 

 

で、結局ユーチューバーを目指す

ま、個人の自由なので大きなお世話なんですが、彼らがよく目指すのがユーチューバーです。 動画で何かを流して、大金持ちになりたいみたいです。
ま、はじめるのはパソコンとカメラだけあればできるしね。

小学生も出てきています。しかも目立ちたいので住所さらして、むちゃくちゃされて困ってる子もいるみたいですね。

ダンスなんか教えなくていいからメディアリテラシーを授業に入れるべきですよね。手元に24時間検索できるツールを持っているのに、なんで情報商材に騙される奴が多いのか考えないとダメだと思います。国語力とメディアリテラシーが圧倒的に重要ですよね。

togetter.com

もちろん、勝手に出前や通販を頼んだりするやつも悪いですが、この子達や最近のユーチューバーを見てると、日本の教育を考え直す時期に来ているのでは?と思います。 何より日教組がやってきた、平等信仰がとてもダメだと思うんです。 前にも書いた、平等と公平(Equality and Equity)の違いがわかっていないと思います。

jinkosky.hatenablog.jp

先に書いたように世の中に確実に各差はあるわけで、それをないなんて言っちゃダメですよね。それは見てみないフリをしてるだけで、ある子はスイッチ買ってもらえて、ある子は買ってもらえなかったりするわけだから。 いくら運動会で順番つけなくても意味ないよね? こうなると子供の頃からダブルスタンダードを身につけていくわけです。先生に前では、そういう事いっちゃダメだから。当然本当の意見はアンダーグランドに行き、イジメに繋がるわけです。つまり自分よりも何かの条件でカーストが下の人間をみつけて蔑むわけです。

年寄りのお門違いな認識

こういう事を言っていると、一部のお年寄りは貧乏でも努力すれば問題ない。俺たちも貧乏から這い上がった。なんてお門違いな事を言う人がいる。

昔のように日本全体が貧乏でスタートが同じなのではない、類い希なIQでもあれば別だが今の塾やピアノの講師もだてに高い金は取っていない。大人が真剣にどうやったら伸びるかを、能率的なコツを何年も実績を蓄積しているのだ。スポーツにしてもクラブチームに入るのはお金がかかる。もちろんコーチもJリーガーだし、くだらない上下関係で1年間を球拾いに無駄についやしたりしない。先輩に使い走りをしてもサッカーはうまくならない。
今は環境の違いを挽回するにはかなりの努力と運が必要になる。それを把握せずに俺たちの時代は・・なんて言うジジイの意見はまったく参考にならない。残念ながら日本はまだ社会の意思決定機関の多くにその世代が居座っている。

格差があることを認めるところから始まるんでは?

差はあるとして、それを埋める、もしくは違う方法を模索すべき。 みんな平等ですよって言うんじゃなくて、差はあることはふまえて何をしていくか?をそろそろ考えないとカーストは広がるばかりだと思うけどね。